院長の週末
2001年 9−12
2002年 1−2 3−4 5−6 7−8 9−10 11−12
2003年 1−2 3−4 5−6 7−8 9−10 11−12
2004年 1−2 3−4 5−6 7−8 9−10 11−12
2005年 1−2 3−4 5−6 7−8 9−10 11−12
狭山池博物館 2月25日(火)
西除川 2月26日(水)
雨のコウモリ 2月22日(土)
オオサンショウウオで水没 2月15日(日)
長唄 2月9日(日)
野鳥園 と なにわの海の時空館 2月2日(日)
柴島水道記念館 2月1日(土)
自然史博物館友の会総会(ゾウのハナコ) 1月26日(日)
穴探し 1月25日(土)
オオサンショウウオ 1月25日(日)
天ヶ瀬ダム ヤマセミ観察会 1月19日(日)
フクロウ谷のリンク 1月17日
新穴探索 1月13日(祝日)
五月山動物園 1月12日(日)
多田銀山 1月12日(日)
秦野鉱山 1月11日(土)
**鉱山 1月11日(土)
ハクセキレイのねぐら 1月5日(日)
大浜公園探訪 1月5日(日)
明けましておめでとうございます 1月1日(水)
狭山池博物館
2003年2月25日(火)
博物館の大和川(水系)調査で、担当の西除川の調査に行ってきました。狭山池近くで採水、検査し、時間が余ったので近くにある狭山池博物館へ行ってきました。
近くを通る度に、ずいぶん長い間改修をしているんだなあ、と思っていましたが、こんなに歴史があり、遺物がこんなに出土しているとは知りませんでした。それらが当時の状況そのままに発掘されている写真とその展示をみて、当時の技術に驚くとともに、その保存技術も大したもんと感心させられました。
私の調査している西除川というのは日本でも有数の汚れた川として有名です。歴史的に、この616年に作られた狭山池の、西側からの流水路という意味で西除川(ご想像の通り、東側には東除川があります)という名前があるので、この歴史も飛鳥時代にさかのぼるということです。その川が汚いことで有名とは恥ずかしい話です。
狭山池博物館を調べていたらこんなHPを見つけました。
大和川と淀川の全てがわかります。おまけに、大和川のライブカメラとリンクしており、現在の川の様子がわかります。
源流を探るって、おもしろそうですね。
(おまけ)西除川
2003年2月26日(水)
博物館へ昨日採集した資料を届けに、自転車で出かけました。
調査地は西除川のスタート部分で、自転車で博物館へ行くときはその川の、大和川への合流部分を通って行きます。川自体は大変狭くて汚いのですがどういう訳か、鳥がいろいろいます。今日はアオサギ、ハクセキレイ、カルガモの常連に混じってセグロセキレイ、キセキレイ、ハマシギがいました。おまけに頭の白いスズメまで見られました。(いわゆる部分白化個体、ということ。)たまには自転車もいいもんです。
雨のコウモリ
2003年2月22日(土)
コウモリ調査は雨に左右されないという、予定の立てやすい調査なんですが、雨の時、そこまでの道中が大変ということをいつも忘れています。今日の調査地は結構傾斜がきつく、おまけに水っぽい所で、着くまでにびしょびしょになってしまいました。
何とか入り口までたどり着き、調査を開始しました。
期待通りテングコウモリが数頭寝ていました。キクガシラコウモリは予定通り、200頭弱。おまけのコキクガシラコウモリが2ついて、雨の中を苦労して上がってきた甲斐がありました。
かなりバンドを付けたコウモリが目立ってきました。逆に言うと個体の入れ替えが少ないと言うことでしょう。このまま何年か続けると大阪中のキクガシラコウモリとお友達になれるのでしょうか?(むこうは迷惑としか思ってないでしょうねえ。)
シカの皮はぎ | 小さい試掘坑 |
オオサンショウウオで水没
2003年2月15日(日)
午後から超音波画像診断の研究会があり天満へ。
天王寺の駅ビルが工事中で工事用の覆いにこんな絵が書かれています。
めったに都会に行かないのでいつからあるのか、いつまであるのかは知りません。
夜には恐竜の体に沿ってライトが点灯したはずです。
その後、能勢の天王へ行き、いつものサンショウウオ。
小さな子を見つけ、いつもの測定や写真撮影後、放しました。
この川はそんなに深いところはないし、川幅もなく、すべるのさえ気を付ければ問題がないのですが、どういう訳かその直後、足をすべらせてこの日唯一の深みにダイビングしてしまいました。
厚着をしていたので気温(3−4℃)のわりには寒さは感じず、すぐに着替えて私の観察会はあっさりと終わってしまいました。
本隊はそのあと、80cmの子を見つけたようです。
川にはまるぐらいでは死にませんが、コウモリで縦穴にはまると命にかかわります。これからは気を付けましょう。
年を考えて慎重に行動する、というような年になったのでしょうか?
長唄
2003年2月9日(日)
高1の娘が三味線を習っており、その発表会(って言うのかなあ、三味線でも)が料亭を借り切ってありました。
三味線の発端は小学校での和楽器演奏。通っていた小学校の音楽の先生が三味線の先生で、小学生の時は授業以外にクラブでも習っており、珍しいからか、あちこちに呼ばれて演奏していました。少しのブランクがあり、最近また始めました。
オバサンに混じって学生は一人だけ。平均年齢は想像では60ぐらい?。
日本の伝統芸能はこんな状態で存続するのでしょうかね。
料亭にステージがあって幕を上げたり下げたり。その後、懐石料理、というのがこういう会のやり方らしいです。それなりに費用もかかるようですがまあ、それなりに楽しんできました。
こんな舞台のある会場です。 | 楽譜(とは呼ばないのでしょうね。) これでわかる? |
野鳥園 と なにわの海の時空館
2003年2月2日(日)
昼に少し時間が出来たので南港野鳥園と、すぐそばに出来た海の時空館へ行ってきました。
野鳥園はシギ、チドリの仲間が多数とツクシガモやコガモ、その他が多数。
めずらしいシギが混じっていたらしいですが、珍鳥にはあまり興味がないので探しませんでした。
腕章をしたおっちゃんがいっぱいいたのと、バズーカ砲のようなカメラが嫌ですぐに外の観察小屋へ移動しました。
私も鳥の会ではスコープを担いで、団体でうろうろするわけで、今回とは逆の立場で、同じ目で見られているんでしょうか。これからは気を付けましょう。
なにわの海の時空間には帆船を中心にした展示があります。
菱垣廻船 「浪華丸」の展示のための施設におまけを付けたものです。
まあ、半日程度の暇つぶしにはなると思います。まじめに映像資料までしっかり見たら1日仕事です。
駐車場が1日800円!。私は野鳥園へ置いて歩きました。
柴島水道記念館
2003年2月1日(土)
淡水魚の展示があるということで、前から気になっていました。
淀川を代表する天然記念物、イタセンパラが主目的でした。
外部は大正3年に作られた排水ポンプ場だということです。内部はすごくきれいで、淀川に生息する魚がずらっ、と展示されています。
イタセンパラをはじめとして、アユモドキなどの天然記念物やビワコオオナマズ、タナゴ、ドジョウ類を堪能してきました。
淡水魚が好きな人なら半日は遊べそうです。
*詳細は別記していますが、魚の写真の羅列だけです。
自然史博物館友の会総会
2003年1月26日(日)
午前中に会員の発表というのがあり、その年によって申込者が多かったり少なかったりです。
今年は若干少な目で、時間調整にゾウの解剖のビデオを流したらしい。私は別の雑用で見損ねてしまいました。
奈良のあやめ池遊園で飼われていたゾウのハナコが昨年の4月に死亡して、それを博物館が引き取り、骨格標本を作ったそうです。
42才というので、ゾウにしては短命だったらしいです。
宝塚ファミリーランドも閉鎖の方向で、動物園の動物もあちこち行き先を探しています。あやめ池も縮小のうわさがあるし、ハナコも自分の行く末を案じながら亡くなったんでしょう。
日曜日は家族連れで遊園地へ行き、動物を見る、という時代では無くなりつつあるんですね。
動物園もやっぱり見せ物小屋の発想から抜けられず、特に大型動物はコストと危険防止のため一頭だけで飼育され、使い捨て状態で死んでいくんでしょうか。
穴探し
2003年1月25日(土)
夜のオオサンショウウオまでの暇つぶしに、新穴の開拓に行ってきました。以前に、地質図でマンガン鉱山の印を見つけたので気になっていた所です。別のマンガン鉱山で多数のコウモリを見つけたことがあったので期待していました。
行ってみると、それらしい雰囲気と、廃坑とセットになっていることが多い炭焼きの石組みは見つかりましたが、坑道や坑口の痕跡は見つかりませんでした。しばらく山中をさまよいましたがあきらめて、時間つぶしに付近をうろついていまし
た。
炭焼き窯 | 石段と、ならされた地面 |
エナガやカラ類の混群を楽しみながら歩いていると、崖下に獣の毛が抜けているのが見えました。降りてみるとシカの骨がありました。
骨盤以下の後肢と下顎骨、上顎の一部と前足片一方だけあります。骨盤や下顎骨はほとんど肉がない一方、足の一部は皮がついたままです。頭骨も背骨もないし、皮も足りません。
狩猟して処理後のいらない部分なんでしょうか?
持って帰ろうかどうか思案しつつ、しばらく眺め、少しだけと思いながら下顎骨を袋に入れ、また考えて骨盤を袋に入れ、ついでに片足も。結局ほとんど持って帰ってしまいました。
タヌキのおやつになるでしょうか。
オオサンショウウオ
2003年1月25日(日)
雪の残る川での調査。覚悟していましたが気温が1−2度の割には風もなく、極端な寒さは感じませんでした。90cmの顔なじみの大きな子に会いました。
生まれたてのオオサンショウウオが巣穴から出ているのを期待しましたが見つかりませんでした。
結局本日の成果はこの1頭だけでした。
天ヶ瀬ダム ヤマセミ観察会
2003年1月19日(日)
鳥類研究グループの観察会で宇治、天ヶ瀬ダムへ行ってきました。
今日は雨の予報だったらしいです。昨晩は博物館の評議員会議で遅くなり天気予報をチェックしていませんでした。それでも約10名集まって宇治駅に集合。
宇治というのは初めて、と思っていたら平等院のある所なんですね。そうなると小学校の遠足以来、と言うことになります。
ずいぶんハイカラな(という言葉はかなり古くなっているような気もする)駅舎でした。所々にコシアカツバメの巣がありました。もっと団体で営巣しても良さそうなのにバラバラに少しだけでした。
宇治川の右岸を上流へ。水鳥やユリカモメ、カワセミ等を見ながら天ヶ瀬ダムへ。ヤマセミをみんな期待しながらも出現せず。
昼食後ダムへ上がり、堰の上からダム湖や付近の山を見ていると学芸員の ”ヤマセミ”
と言う声、そちらを見るとはるか下の川床に白い大きな鳥、ヤマセミでした。
すぐにいなくなったけど写真の通りのパンク頭に、尾をあげる仕草、伊那谷と同じ感激を味わうことが出来ました。もっとも、記録としては大阪でも岸和田、和泉市、河内長野等、あちこちで見られている鳥で、そんなにすごく珍しい、というものでもないらしいですが。
行きにアオサギとカワセミが並んでいたポイントに今度はヤマセミが止まっています。真横からの観察で上を向いたり尾を振ったり、ずいぶん長い間楽しませていただきました。
帰る途中から予報通りの雨。でもオオタカや、季節はずれのイワツバメの乱舞(こういうケースもあるらしいですが約20羽が川のはるか上を飛んでいた)を見たり、ヤマガラ、シジュウカラ、エナガ、コゲラの混群が目の前で採餌するのを見たり、帰りは帰りですごくおもしろかったです。
○○の観察会と銘打って、それが出現しなかったら申し訳なく思ったりします。コウモリでもいつも
”連れて行くけどおらん可能性が大きいでえ” と言い訳してから連れていきます。今回は私の担当ではありませんでしたが友人を誘っていたのでしっかりヤマセミが見られてほっとしました。
わかりにくいけど、なんのとっかっかり もない天井に巣が出来ている。 |
ダムの遠望。あちこちに調査坑 が開いていたが鉄のフタ。残念。 |
おまけ
チョコエッグのヤマセミ。
150円で買ったものが1000円以上で売れました。
フクロウ谷
2003年1月17日
宮崎学さんから、フクロウ谷観察会の紹介ページに、私のページをリンクさせて欲しい、との連絡がありました。
さっそく見てみると ”一等地” をいただいたようで恐縮しています。
宮崎さんの都合がつけば、人数さえまとまれば表記日程以外でも観察会をして下さるそうです。
フクロウだけではなく、宮崎さんの話は何十年と自然を見てきた人しかわからない重みがあり、一言一言にその重みが見え隠れしています。
是非、皆様もお出かけ下さい。
講演会?
2003年1月
大阪府立大学の学生サークル、Nature Gate というところから講演を頼まれました。コウモリの話を、ということです。
私もコウモリをはじめるまでは ”大阪でコウモリ??” と思っていたので興味があるのかもしれません。
人前で話すのは苦手ですし、そんなつもりで写真を撮ったりしていなかったので、あわてて資料を引っぱってきたり、写真を読み込んだり。
さらにスライドショーででもごまかそうかと、パワーポイントを導入しようかと思ったりしましたがこれは手ごわそうなので省略。ViX
で簡単なスライドショーが出来るようにしました。
ちょうど3月にある自然史博物館の自然史フェスティバルの予行演習みたいなものです。
ついでにハガキの行商でもしてこようかな。
こんなりっぱなポスターを作っていただきました。
ポスター負けしそう。
新穴探索
2003年1月13日(祝日)
急に予定が空いたので久しぶりに新穴の探索をして来ました。詳細は大阪の穴をごらん下さい。
昨日の多田銀山では道なき山中を登ったり降りたりしていましたので、今朝は足がガタガタです。さすがに穴の3連ちゃんはきついです。地質図をながめ、行きやすそうな所を探しました。
最初は千軒鉱山。国道を挟んだ反対側には多数の坑道を確認しています。例によってたまたま近くにいたおっちゃんに聞くと、”あっちの谷にいくらでもあるでえ、”
との返事で、行ってみると金グソ(精錬くず)で出来ているらしい小山がありました。
肝心の坑道はそれらしいところがいくつかありましたが確信は持てませんでした。
たぶん金グソ |
ついでその近くの廃坑、民田鉱山の調査、のつもりでしたが近くまで行って初めて、以前に調査したことを思い出しました。ただし、以前の調査では地質図とかなり離れた所に坑口を一つ見つけただけの、疑問符付きの調査でした。
地質図と25000の地図を見比べながらハイキングコースからはずれて谷を登るとズリと埋もれた坑道いくつかを見つけました。炭焼き窯も一つ埋もれていました。
次いで内馬場鉱山を探索に行く途中、おっちゃんに声をかけられ行ってみるとタヌキがいました。コロコロに肥えていました。枯れた草の間で固まっています。見た目は痩せていないし外傷もありません。いわゆるタヌキ寝入りで、人に見つかって固まってしまったのでしょうか?しばらく写真をとったりしていましたが目だけぎらぎら動かし、体は全く動かしませんでした。ちなみに、廃坑を調査した帰り(約40分後)にも同じ所にいました。やっぱり病気だったんでしょうか。
固まって動かない。 | カケスのはね。 |
内馬場鉱山は雨森山への道からはずれた谷を登った所にありました。埋まった坑道がいくつかと例によって例のごとくの、這うような穴が一つありました。のぞいてみると入ってすぐに縦穴があり水没、その向こうに入れそうな穴がありましたが縦穴を越えることが不可能で入れませんでした。キクガシラコウモリなら利用しそうです。
ということで本日の成果は3戦して3分け、かなあ。
穴の写真はどれを撮っても似たようなものです。 |
五月山動物園
2003年1月12日(日)
コウモリ帰りに日本一小さい動物園、というのが売り文句の五月山動物園へ行って来ました。
ヒメウォンバットがいることで有名です。たしか日本で初めてウォンバットを繁殖させたのもここだったような記憶があります。
コアラを少し大きくして地面を歩かせるとウォンバットになります。こんなにかわいいのに他の動物園ではあまり見ませんねえ。
その他にはワラビー、シカ、マーラ、ウサギ、アライグマ、セキセインコ、アカゲザル(だったかなあ)でおしまい。
もちろん無料ですので皆様もぜひ行ってみて下さい。
マーラも他では見かけないですね。 |
多田銀山
2003年1月12日(日)
友人が新しい穴を見つけた、ということで、私のコウモリ初めの場所である多田銀山に久しぶりに調査に行きました。コウモリを始めた頃は、ここしか思いつく場所がないので何回もあてもなく山中をうろついていました。
青木間歩
道路脇にある大きな穴です。私が初めて見つけたときは道もなく、入り口には腐った木枠があり、冬にはテングコウモリを確認しています。
久しぶりに行ってみると、なんと観光用に作り替えられていました。道とベンチを作り、それ風の立派な門構えにして中はライトをつけ、通路はコンクリート。まあ、銀山で名前を売っている所なのでこういう施設も必要なんでしょうか。もちろんコウモリの住む雰囲気ではありません。
昔 | 今 |
その近くの穴
坑道の痕跡はあちこちにありますが、入れるほど大きな穴はまれです。
友人が見つけた場所に行ってみると、見るからに手堀の小さな入り口、小さな試掘坑かと思って入ってみると腰をかがめてやっと歩ける坑道が延々と続いています。キクガシラコウモリがあちこちにぶら下がっています。総数約30頭。所々に縦穴も開いていて恐ろしいところでした。
これだけコウモリが入る穴は多くありません。継続調査が必要でしょうが ”入りたくない穴”
ベスト5にはいるでしょう。
何でこんなにかわいいんやろ。 | 普通にしてても肩が当たり頭がつかえる。 |
**間歩
豊臣の財宝が隠されているとのことで、親子2代で発掘が行われている坑道です。石屋さんの間では有名らしいです。作業小屋もりっぱなのが建っています。
期待通りテングコウモリ、キクガシラコウモリが多数見つかりました。能勢からの移動個体(数km?)も見つかりました。財宝は残念ながら見つからず。
複雑な坑道に信用できなさそうな梯子があちこちにかかっています。それらの側道や縦穴には入りませんでした。
整備された坑道 | テングコウモリ |
その他多数
いくつかの坑道に、あるところはワイヤーはしごで降りました。水平道と縦穴の組み合わせが多く、縦は入る気になりませんでした。興味がある方はぜひ探検してみて下さい。
そういえば以前、この近くでランタンとザイル、はしごが使える状態で放置されている穴を見つけています。ひょっとするとその先には人骨でも残っているのかと思いつつ再調査はしていません。これもどなたか、行って見ませんか?
秦野鉱山
2003年1月11日(土)
あまり行きたくない穴、ベスト5にはいる穴です。行きたくないけどキクガシラコウモリにコキクが少々入るのでたまに行く必要があるのです。
入り口は完全に腹這いになり、タヌキの溜め糞を横に見つつ数m這います。その後も腰は全く伸ばせません。約100mそういう状態が続き、さらに奥へ続くのですが、あまりにも狭いので最後までは探検していません。
肝心のコウモリはキクガシラが2つ熟睡していました。
ザイルがないと降りられない横穴がありますがここはパスしました。
**鉱山
2003年1月11日(土)
続いてコウモリが最大200頭以上入る穴です。といっても、それはユビナガコウモリが入る春、秋の話で、冬はテングコウモリの観察に入っています。
期待通り入り口付近でテングコウモリが3頭かたまって寝ていました。さらに進むとキクガシラコウモリがあちこちに。みんな伸びきって熟睡モードでした。
坑道の奥にはコキクガシラコウモリが多数。コウモリはこのように、同じ穴でも温度によって寝る場所を使い分けています。コキクガシラは奥の暖かいところにいるケースが多く、熟睡しないのでライトを当てると震えます。起こさぬようにカウントだけして早々に退散しました。
1頭にかなり古い翼帯を見つけました。この穴では同じタイプの翼帯は2つ目。前回もコウモリの会に問い合わせていますが、どなたのバンドかわからずでした。
やっぱりデータは公的なところで管理して欲しいですね。私のデータにしても仲間3人で共有しているだけですから。
フクロウ谷の続き
信濃毎日新聞社から取材時の写真が掲載された新聞が送られてきました。
とりあえず写真部分の抜粋です。
ハクセキレイのねぐら
2003年1月5日(日)
高石市にあるハクセキレイのねぐらを見てきました。高石市は堺市のすぐ南にある市で、かなり前から冬にハクセキレイのねぐらが出来ます。
場所は阪神高速道路の橋脚の下です。臨海工業地帯の運河をわたる、一般道路と高速が交差するところに集まってきます。
5時前、まだ明るいうちからあちこちから集合していました。まず最初に一般道路の橋脚や近くの工場に集まっていました。その後、はるか上の高速道路のウラに入っていきます。しばらくは出たり入ったりを繰り返していました。
この日は大型の寒波来襲の日で吹きっさらしの橋の上はすごく寒かったです。本来は概数を数えないとデータにならないのですが寒いし、結構距離があり、しかも橋に入ってしまうと見えなくなるので数えるのは断念しました。1000羽以上いるように感じました。
大阪で有名なハクセキレイのねぐらは淀川、大和川にもあります。両方とも大きな橋の下です。騒音と振動は気にならないのでしょうか。
ねぐらの遠景。すごく高いところ。 | いったん並行して走る一般道に集合。 |
ここでも待機中。 | 最終的に寝る場所。 |
大浜公園探訪
2003年1月5日(日)
サル山
歴史の教科書に出てくる自由都市堺、その舞台になった(旧)堺港の近くに大浜公園があります。ここにサル山があります。
堺市民でも知らない人が多いようです。実はここには明治36年に出来た水族館がありました。当時東洋一といわれたそうです。サル山自体がいつ出来たのかは知りませんが、その関係で昭和初期?中期?戦後?からあったはずです。
昭和36年の第2室戸台風で付近一帯が長時間停電し、魚が多数死んだ為水族館自体も閉館したそうです。
歴史に出てくる堺市が次に有名になったのは、給食からのO-157による小学校の集団食中毒です。
災害を乗り越えるのではなく、水族館自体をやめてしまう堺市の体質がそういう問題を引き起こした、というような気がします。全然関係ない話ですが。
大浜公園には体育館やプールがありますが、国道と湾岸線に区切られ人の流れはほとんどありませんし、しかもサル山の位置があまり人の集まらないところにあるので、いつ行っても寂しそうです。
アカゲザルが3−40頭います。おそらく完全な閉鎖社会ではないでしょうか。もちろん食事はもらっていますがあまり管理されているようには見えません。毎年何頭か生まれ、同じ数が死んでいるらしいです。ある意味では血統がしっかりしているので、実験動物としていろんな施設がひそかにねらっているそうです。
学生時代、すなわち30年近く前はよく来ました。その時と全く見た目は変わっていません。今いる彼、彼女、子供達はその当時お会いしたサル達の子孫なんでしょうね。
一応、小屋もあるのにみんな外に集まって風の当たらない壁際でおしくらまんじゅうをしていました。
確かに、見ていると楽しいしほのぼのしますが、この子達の人権も考えてしまいます。
蘇鉄山 標高6.8m
日本最低の一等三角点がある山だそうです。一等は日本で約1000カ所しかないそうで、まあここにあると言うことは、とりあえずめでたいことなんでしょう。
ちなみに天保山は標高4.5mで二等三角点があるそうです。一時国土地理院の地図から山の名前が消えましたが、地元の要望を受けて1996年の25000の地図から名前が復活し、日本最低の山となっているそうです。
つまり大阪には日本最低の山と、日本最低の一等三角点のある山の二つがあるという事になります。
登山認定証は堺駅近くの神明神社でもらえるそうですが、地元ではあんまり有名ではないのでは?。というより、どうでもええことで気にしていないのでしょうね。
日本最古の木造灯台
明治10年から約100年間使用された灯台です。木造では日本最古のものらしいです。堺港の入り口に寂しく立っています。
ここも高校生の頃、よく遊びに来ました。その当時はもっと近くまで入れました。
どういう訳か、灯台の中に畳が1,2枚あったように思います。当時はペンキも剥げて、もっともっとさびれた状態でした。逆に、粗末にしていたから人もあまり来ずに、いたずらされなかったのかもしれません。
明けましておめでとうございます
2003年1月1日(水)
明けましておめでとうございます。
今年も元気に穴ぐらへもぐりましょう。
正月は例によって両親のうちへご挨拶、です。
両親は法隆寺にすんでおり、毎年初詣は裏山にある松尾山へ行っています。今年はシーナとソフィーも連れていきました。
九官鳥のキュウちゃん。(そのまんま) 迷子の九官鳥を頂いたものです。 |